今回は最近増えたなと思う「考えない学生」についてお話ししようと思います。
真面目な学生
私が勤務する大学はお世辞にも学力が高い学生が集まっているとは言えず、偏差値も低いFラン大学と呼ばれる大学です。
偏差値ですべてを語ろうとは思いませんが、学生の学力が低いと感じるのは事実ですので、偏差値が低く、Fランと言われていても仕方がないと感じています。
そのような大学ではありますが、学生は比較的素直であり、それほど指導に困るということはありません。
なぜなら、本当に指導に困る学生は学校に来なくなり、いずれは大学を辞めていくことが多いからです。
大学に来て授業を受けている学生のなかにも指導が大変な学生はいますが、犯罪行為などを起こすわけではないため、提出物が出てこない等はかわいいものです。
そして、真面目な学生ももちろんいますので、真面目に授業を受けて学ぼうとする学生に対しては、こちらも全力で応えなくては、と発破をかけられるような気持ちにもなります。
ただ、一部頭を悩ませる学生が最近増えてきたなと感じることがあります。
それは、
「考えない学生」
です。
考えない学生
どのような学生かといいますと、基本的には真面目であり、授業への意欲も高い学生です。
ただし、自分で考えようとはしないのです。
何か自分にわからないことがあると、すぐに質問をして、自分で調べたり、解決しようとすることがないのです。
そのため、質問の内容も、「これは〇〇ですか」というwhatが多く、「なぜ、〇〇なのですか」というwhyがほぼありません。
質問をすることが悪いことではありません。
ただ、「質問の仕方」というのは重要だと思っていて、自分である程度調べて、解決を図ったけれども答えが出なかった場合に行うのが、大学における「質問」だと考えています。
ただ、個人的には化けの皮がはがれてしまう場面に必ず出くわすと考えています。
実際、私の大学にいる「真面目」な「何でも聞く」学生は、人当たりが良いため、ほとんどの授業で高評価を得るのですが、恐ろしく低い評価をつけられた授業がありました。
それは「教育実習」です。
教育実習では、基本的に指導教員がつくのですが、指導教員は通常の業務に加えて実習生を受け入れるため、実習生への対応はどうしても後回しになりがちです。
質問をする学生というのは、基本的には好意的に受け止められることが多いのですが、忙しい中で分かり切ったことまで質問されると、指導教員もたまったものではありません。
自分で考えないため、指示をされた以上のことはできず、「臨機応変」に対応するということは全くできません。
そのため、素直で真面目な学生ではあるものの、教育実習先からの評価では、下から2番目という評価が下されました。
考えさせる機会がますます必要となっていく
上記のような学生が最近どんどん増えてきたなと感じます。
レポートにしても、自分の考えを踏まえて書くように、と指示をしても、授業のメモになっている学生は珍しくありません。
chatGPTなどの生成系AIが開発されたことも手伝って、今後ますます考える機会が減っていくのだろうなと、個人的には感じています。
そのため、一教員としては「考えさせる機会」を与える環境を作らなければならないと思っています。
結局のところ、大人の言うことに従っていればよいというのは教員がいる学生までであって、社会に出たらそのような人間は評価されません。
指示に従うだけでも生きていくことはできるかもしれませんが、おそらく、大成はしないでしょう。
本人が大成を望んでおらず、自分で決めた道なのであれば、それでよいかもしれませんが、少なくとも学生であるうちに少しでも考える素養のようなものは身につけさせたいと思ってしまうのです。
教員というおせっかいな職業に就いているからそう思ってしまうのかもしれませんが、特に、大学という教育機関では「考える」ということが根幹になってくると思うのです。
まとまりませんが、今回は考えない学生についてお話ししました。
とても真面目な学生を見ると「なぜうちのようなFラン大に来たんだろう」と感じることもあるのですが、細かく関わっていくと、今回のような考えない癖のようなものがついている場合があります。
その癖を見抜き、考えるとはどういうことなのか、ということを教えられたら、一人前の大学教員になれるのではないか、と勝手ながらに思っています。
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