今回は「教員だけれども教えない」ということについてお話ししたいと思います。
教員は教えることだけが仕事ではない
以前書いた内容と重複しますので、以前の記事をご覧になられていない方は、以下の記事もご参照ください。
教員である皆様であればご理解いただけるかと思いますが、1単位時間の授業において、教えるだけが教員の仕事ではありません。
知識や技能を教えることももちろん重要ですが、教えたことを活用する力や教えようとしていることを読み取る力、自ら考えようとする力など、目に見えない力を養う必要があります。
そのため、一方向的な講義形式だけでなく、グループワークや演習などの授業形式も重要となってくるわけです。
ただ、このグループワークや演習の際、教員の役割が薄れるという場面が存在します。
つまり、自分たちで課題解決に向けて考えている時間や、話し合っている時間など、教員は「教える」という役割が不要となる時間が出てくることがあります。
上記で紹介した記事でも書いていますが、この場合、「見ているだけ」という状態になりがちになります。
この際、教員という人種はどうしても教えたり、話し合いに参加したりしたくなってしまったりします。
義務教育段階の教員であれば、授業参観や研究授業などの際は特に、子ども達と関わっている姿を見せようと、不必要に関わってしまう教員も少なくありません。
教えない勇気が必要
ただ、課題解決に向けて検討している場面や、考えている場面においては、教えないという勇気が必要だと改めて思うのです。
もちろん、質問があったり、検討が滞っているグループがあったりすれば介入は必要かと思いますが、子ども達が自分たちで検討しているにもかかわらず、不必要に介入することは避けたほうが良いと思うのです。
義務教育段階であれば、質問なども出てくるかもしれませんが、大学となると、よほど意欲の持った学生がいない限り、授業中に質問が出てくることはありません。
ただ、それでも教員側から介入することは避けたほうが良いと思うのです。
大学に関しては、職務放棄と思われるかもしれませんが、考える時間に考えないのであれば、それは自己責任であり、自分の学びを高める意欲がない学生に学びを強要する必要はないと私は考えます。
以前書いた以下の記事が私の考えを示していますので、良かったらご参照ください。
もちろん、基本的には意欲のある真面目な学生が最大限学びを享受でき、不利益を被らないことが第一になるかと思いますので、授業に対して手を抜けと言っているわけではありません。
適切な学習環境を提供したうえで、学ぶ意欲のない学生に対しては、無理に学習意欲を高めようとする必要はないと考えています。
なぜなら、大学は義務教育ではないからです。
義務教育段階であれば、学習意欲を高める環境設定や働きかけも必要になるかもしれませんが、それでも、最小限の介入でよいと思っています。
第3者から見たら、立っているだけの教員や教えていない教員と移るかもしれませんし、教員という職業柄、話し合いに介入したり、解決方法を教えたりしたくなるかもしれませんが、「教えない勇気」をもって、子ども達に考える機会を作り出すことが必要だと思うのです。
今回は「教えない勇気」について話をしてみました。
グループワークなどでは、ほとんどの場合、検討後に発表の時間を設けているかと思います。
検討が滞っていたとしても、なんだかんだで発表までには意見をまとめたり、自分たちなりの考えをまとめてくる学生がほとんどです。
検討中の姿を見ているとやきもきするかもしれませんが、自分たちで考えさせ、自分たちで責任を取らせることが、大学における教育としては適切だと個人的には思います。
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