今回は「学歴やお金より大切なことがある」と発信する人についての所感を書きたいと思います。
学歴やお金は大事
最近ということではないのですが、前々から違和感を感じていたことがあります。
それは、
「お金より幸せなことがある」
「学歴が全てじゃない」
と言った内容のことを周りに諭すように話す人達のことです。
確かに、お金より幸せなことや、学歴だけが全てではないという世界もあるでしょう。
それは間違いありません。
ただ、お金があった方が幸せになれる確率は圧倒的に高くなり、学歴があった方が収入の高い仕事に就けたり、社会的に認められたりする機会が多くなるのが事実です。
日本人は財力や知恵を見せびらかすことを嫌う傾向がありますので、地味に黙々と働くことが美学とされますが、お金持ちや学者となった人たちは、その背景に並々ならぬ努力があることのほうが多いでしょう。
宝くじに当たってお金持ちになった人であっても、それは強烈な運を引き寄せた結果ですので、その人の実力とも言えます。
人がより豊かに生活を送るうえでは、お金や学歴はあって損はないと私は思うのです。
少なくとも、命を狙われるなどの特例がない限り、邪魔になることはありません。
お金や学歴がある人が言う言葉
お金や学歴は合ったほうが良い、という考えに基づいて話を進めますが、タイトルのように「学歴やお金より大切なことがある」と言っていいのは、高い学歴を持っている人や、お金を潤沢に持っている人がいう言葉であって、そのステージに行ったことがない人がいう言葉ではないと思うのです。
日本であれば東大や京大、海外の有名大学などを卒業し、国内や海外でも認められる学位などを取得した人が「学歴はすべてじゃない」というのであれば、それは納得でしょう。
言わずもがな、高い学歴を取得したうえでの発言ですので、異論はありません。
同様に、「お金よりも大切なことがある」という発言に関しても、どこからをお金持ちとするのかはそれぞれの価値観によるところがありますが、億を超える資産をもつ人が発言するのであれば、お金を潤沢に持ったうえでの発言ですので、こちらも異論はありません。
成し遂げてもいないことを語るのは、ただの言い訳でしかない
つまり、何が言いたいのかというと、自分で成し遂げたこともないことについて語るということは、ただの言い訳でしかない、ということです。
以前の記事でも紹介しましたが、人は目指していた何かを断念するとき、必ず理由をつけます。
高い学歴となる大学に落ちてしまったときや、十分なお金がない時など、先述したような言い訳を語り始めます。
その言い訳には妥協したという事実しかなく、適切な努力をした後に見える世界を放棄しているとも言えます。
これほど残念なことはありません。
今回は普段から感じていた違和感について話をしてみました。
とどのつまり、学歴やお金より大切なものがある、などと語らなければよいだけの話なのですが、人間、届かなかった目標に対して向き合うことはそう簡単なことではないようです。
教員という職業は教えたり語ったりする立場にありますが、努力の足りなさを正当化するような発言には気を付けたいものです。
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