少し長くなってしまったため、短大教員になるまでの話を前編と後編に分けさせてもらいました。
前編をご覧になっていない方は、記事一覧からご覧ください。
反骨精神
前編の最後でお話ししたように、母校の大学に教員として戻れそうだったのですが、最後の最後で採用が否決されてしまいました。
母校に戻れると思っていた私にとって、間違いなくショックな出来事でした。
恩師は全く悪くないのですが、恩師から何度も謝罪を受けました。
しかし、この出来事が私の反骨精神に火をつけるきっかけとなりました。
ショックを受けたのは事実だったのですが、「絶対に大学の教員になってやる」という、半ば逆恨みのような気持ちが沸々と湧き上がってきたのです。
それからというものの、毎日、大学教員公募サイトである「jrecin」をチェックして、今の自分を必要としてくれている大学はないか探しました。
そして、少しでも自分の研究分野に合致している大学には応募を繰り返しました。
並行して、学会発表や論文の執筆も続けました。
応募した大学、短大の数としては、10校程度でしょうか。
大学教員公募は100校以上応募される方もいらっしゃるため、10校というのはまだまだ少ない方ではあるのですが、応募した大学、短大の1校から書類審査を通過した旨を受けることができました。
その大学は四国地方にある短大であり、私が勤めていたのは関東地方でした。
そのため、二次試験を受けるにしても、1日は確保して、飛行機で向かう必要がありました。
二次試験は平日におこなうとの旨を説明されていたため、非常に悩みました。
小学校教員の方ならわかるかと思いますが、基本的に長期休暇以外で年休を使うとなった場合、補教といって、現在行っている各授業の進度を別の教員に伝え、代わりに進めてもらうという手続きを取る必要があるのです。
このことから、平日に年休をとるのは他の先生方にも迷惑をかけることとなり、しかも自分が病気にかかったなどの理由ではなく、転職を進めていることから、気が進みませんでした。
しかし、そんなときに「日曜参観」というイベントがやってきます。文字通り日曜に行う参観ですので、月曜日に振替休日が入ります。
これは二次試験に行けと言われていると感じ、日曜日の夜遅くの航空便を予約して、月曜日に二次試験を受けることとなりました。
短大採用試験
先述しましたが、大学の試験は基本的に一次試験は書類審査となります。そのため、応募した大学に出向くのは二次試験に進めた時のみとなります。
二次試験は基本的に面接となり、最近では模擬授業が求められる大学も増えてきています。
私の場合は面接のみでした。
面接では、自分の業績、経歴、指導可能科目などの確認から、なぜ本学を受けたのか、四国に縁はあるのか、自動車免許はもっているか、などの質問も受けました。
自分の中では上手くいったとまではいかないまでも、無難にこなせたと感じていました。
そして、面接を終えるや否や、空港に直行し、帰路に着いたのです。
模擬授業
二次面接を受けてから1週間ほど経ったある日、放課後に携帯をチェックしたところ、試験を受けたの短大から留守電が入っていました。
電話の内容としては、「急遽で申し訳ないが、模擬授業をしてほしい」とのことでした。
二次試験で合否が決まると考えていましたが、採用で誰かと競っていると考えたら、受けるしか道はありませんでした。
今回は土曜日でも試験が可能とのことをお伝えいただいたため、土曜日に再び四国へと飛ぶことになりました。
模擬授業は90分想定の冒頭20分の導入を行うというものでした。
テーマが与えられ、それに対して授業を作るという形でしたので、パワーポイントを活用して授業資料を作成しました。
授業作りに関しては、大学の恩師にも相談をして、参考書などの情報をもらいながら作り上げていきました。
そのおかげもあり、当日の模擬授業は滞りなく行うことができました。
採用決定
模擬授業が終了したのち、少し教室で待つよう指示がありました。
時間としては20分くらいだったかと思いますが、一向に担当者の方が来ないため、忘れられているのではないかと不安になったのを覚えています。
こちらから担当者の方に声をかけにいこうかと思った矢先、担当者の方が来られ、その場で内定の旨が伝えられました。
どうやら、模擬授業が終了後、その足で教員選考委員会を開いていたようでした。
口頭で内定が伝えられた私は、嬉しい気持ち半分、疑いの気持ち半分といった心情でした。
なぜなら、前回の大学教員採用の際に、最後の最後で否決となったからです。
そのため、内定通知書が届くまで安心することはできませんでした。
内定
模擬授業から2週間経った金曜日、無事に内定通知書が届き、短大から内定をもらうことができました。
ちょうど12月の中旬あたりだったかと思います。
それからは、教頭に退職の相談をして、校長にも退職の旨を伝えにいきました。
次年度の人事編成が行われるスケジュール上、退職の意向を伝えるのが1週間遅れていたら大変だったと言われました。
長くなりましたが、このような経緯で短大教員になることが決まったのでした。
今回は短大教員になるまでの経緯についてお話ししました。
短大教員になるために必要なこと、なる手順などについては、改めて記事を書こうかと思いますので、よかったらご覧ください。
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