今回は小学校教員時代の仕事についてお話ししたいと思います。
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私が小学校教員だったころ、悩ましかった業務の一つに「コメント入れ」というものがあります。
教員の皆様、特に小学校の教員の方々はお分かりかと思いますが、生活科の絵日記や図工で作った製作物、各教科における提出物など、様々な場面でコメントを入れることがあります。
特に、教室内の掲示物に関しては、確実にコメントを入れてから掲示をしていました。
この「コメント入れ」ですが、もちろん必須業務ではありません。
全く入れなくとも、何の問題もないのです。
私の印象としては、高学年になるにつれて、コメントを入れる先生も少なくなっていった印象があります。
逆に、低学年の担任の先生方は細かくコメントを入れていらっしゃった印象があります。
悩ましい・・・
コメントは入れるに越したことはないと、個人的には思います。
ただ、学級全員にいれるとなると、結構な業務量となります。
正確に言えば、結構な業務量にしていたのは自分自身なので、他の先生方からすれば、「無駄な作業」として映っていたかもしれません。
まず、私が担任をしていたころは大体30名前後のクラスを担任することが多かったため、30名ほどのコメントを入れることとなります。
このコメントの入れ方も教員によって変わるのですが、私の場合は可能な限り同じコメントは入れないようにしていました。
また、スペースの問題もありますが、大体2行程度コメントを入れていたかと思います。
そうすると、30名に全く違う2行のコメントを入れることとなり、コメントの文など考えていると平気で1時間以上の時間が経過しているのです。
そのため、夏休みの課題などをチェックして、コメントを入れる場合は大変でした。
冒頭でもお話ししましたが、このコメント入れは必須業務ではありません。初任の際に学年主任からコメントを入れるよう指導を受けた過去はありますが、最終的には自分の判断でコメントを入れていましたので、自分で業務を増やしていたこととなります。
ではなぜ、私が質的にも量的にも疲れるコメント入れをしていたかというと、
「自分が小学生のころ、コメントをよく読んでいたから」
と言えます。
私は小学校から大学まで、何かにもらったコメントは必ず読んでいました。
そして、ほとんどの場合、そのコメントを読んで嬉しくなった経験があります。
コメントの内容は覚えていませんが、「コメントをもらう」ということ自体が楽しみだったのです。
私自身がそのような経験をして育ったため、どうしても、コメントは必要なものだと感じてしまい、業務量を増やしていました。
時折、その時の校長に「コメントは1行で十分だ」という助言をいただいたこともあり、できる限り簡潔にするようにしてはいましたが、最終的に小学校教員を辞めるまでコメント入れはしていました。
正直ところ、教室内に掲示している作品や提出物のコメントなど、低学年であればほとんど確認していません。低学年のほうがコメントを入れる機会が多いのにもかかわらず、皮肉なものです。
業務削減が叫ばれている教育業界において、コメント入れという業務は早々に改善すべき事項として挙げられる業務だと思います。それ以前に、必須業務ではないので、話題にもならないかもしれません。
私も現代の教員の方々にアドバイスをするのであれば、コメント入れはお勧めしないでしょう。
ただ、過去の自分にアドバイスするとしたら、「辞めろ」とは言えないと思います。
他の業務を圧迫しない範囲に留めろ、というアドバイスをするかもしれません。
教育業界はこのような業務でありふれているのだと思います。
他の業種からみたら「無駄」「無意味」と感じるような作業でも、答えのない「教育」というジャンルの中においては、「意味」をもつかもしれない。
そのような勝手な期待と善意から教育は成り立っているのかもしれません。
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