今回はイライラした時の対処法について、私なりの考え方をお話ししたいと思います。
特殊な考え方
「イライラした時の対処法」
「ストレス解消法」
などと言った方法は巷に溢れておりますので、今更お話しすることもないかと思っていました。
ただ、私のイライラした時の対処法は特殊だと知人に指摘されたことから、一つの考え方として、何かのきっかけになればと思い、今回、記事にしてみることにしました。
考えないようにする
特殊とは言いましたが、私としてはあまり特殊だと感じておらず、同じようなイライラの流し方をしている方は大勢いると考えています。
基本的には、イライラの根源となる物事を「考えないようにする」という方法の一種となります。
つまり、意識を別のものに向ける、あるいは、思考することを一旦止める、という方法といえます。
ただ、その際に抽象的な方法で「イライラを逸らす」のではなく、具体的に「このような考え方で意識を逸らすようにしている」という考え方があります。
「敗北感」と「反骨精神」
その考え方とは、「敗北感」と「反骨精神」がベースとなっています。
イライラしているということは、その物事に意識を支配されているということであり、意識も時間も奪われていると考えます。
そう思うと、「なぜ自分の人生の貴重な時間が〇〇(イライラの根源)に奪われなければならないんだ」と悔しさが込み上げてきます。
その物事に向き合っていない時間でさえも意識を奪われ、不毛な考えを巡らせているわけですから、完全に敗北しています。
もちろん、考えたらイライラに対応する方法が思い浮かぶ、もしくは、問題が解決するという場合はじっくり考えても良いと思うのですが、考えても何も変わらないという場合もあります。
そのような場面において、私は先述したような考え方で意識を逸らしてきたのです。
このような考え方をすると、勝負事ではないのですが、無性に悔しくなり、こんなことを考えているくらいなら生産性のあることを考えた方がマシだという考えに至るわけです。
もちろん、このような考え方をしたとしても、ふとした瞬間にイライラの根源を考えてしまっていることもありますので、万能ということではありません。
ただ、別の方法では意識を逸せない、という方にとっては、意識を逸らす一つの考え方になるかもしれません。
年齢とともに対処法は変わる
今回はイライラしたときの対処法についてお話ししましたが、正直、対処法は年齢によって変わると考えています。
若い時は音楽を聴いてリラックスしたり、運動をして意識を逸らしたりしたこともありました。
そのため、その時々にあった対処法を探すということが大切になってくるのではないかと思います。
ただ、自分一人で模索していると考え方や対処法に偏りが出てくる可能性がありますので、他の人の意見や対処法を参考にすることも効果的ではないかと思っています。
今回の記事も、ありきたりではありますが、誰かの何かの参考になれば幸いです。
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