「見ているだけの教員」は悪なのか?

雑記

今回は「見ているだけの教員」についてお話ししたいと思います。

以前にも似たような内容の記事を書いていますので、良かったら、こちらもご覧ください。

https://note.com/embed/notes/nde41ec99cdcf

「見ているだけの教員」

私個人の結論から申し上げますと、ただ見ているだけの教員はダメでしょう。

これは誰しもが思うことであり、おそらく、肯定する方はほとんどいないのではないかと思います。少なくとも、教育関係の方にはいないのではないかなと思います。

「見ているだけ」というのは、字面的にも、実際にも印象が良くないのは明白です。

言葉を変えれば「職場放棄」とも言えるかもしれません。

「見ているだけの教員」は悪なのか

ただ、完全悪でないことを、これからお話ししたいと思います。

むしろ、条件がそろっていれば、「見ているだけ」という状況が必然的に生まれてしまい、個人的にはその状況が教育環境として最高の環境だと考えています。

まず、以前の記事でもお話ししているのですが、私個人が考える最高の教育環境とは、子ども達や学生が自分たちの役割を理解しており、自ら動ける環境です。

小学校などでいえば、朝の会や帰りの会などでは、教員が何を言わずともプリントを配り始めたり、日直の仕事を進めたり、片付けや帰りの準備を始めたりと、自分の役割を認識して学級活動を運営できている状態です。

大学には学級での活動というのは基本的にはありませんので、課題に対して積極的に自分の考えを発言したり、グループワークを進めたり、授業に必要な準備や資料を整えていたりなど、自分で必要なことを考えて行動できている状態です。
特に「演習」科目で見られる環境かと思います。

上記のような状態を想像していただけたらお分かりかもしれませんが、教員はその他の業務がない限り、「見ているだけ」となってしまうのです。

もちろん、小学校では連絡帳に記入をしたり、個別指導をしたりなど、子ども達が動いている裏でも何かしら動いていることがありますが、そのような業務が終わっている場合、子ども達の様子を見ているだけとなります。

大学においても、グループワークに必要な課題を提示し、それぞれのグループが検討や演習を行っている間、教員は「見ているだけ」となります。

時々、「見ているだけ」という言葉に嫌悪感を抱かれる先生もいらっしゃいますが、机間巡視をしていようが、「見守っている」と言葉を変えようが、「見ている」という行為自体に変わりはありません。
子ども達や学生の取り組みを注視していようが、中に入って指導を行わない限りは「見ている」だけです。

冒頭でもお話ししましたが、必要な指示や課題の提示などを行っていないにも関わらず、ただ「見ているだけ」というのは職務放棄となるでしょう。

しかし、先述したように、適切な役割が与えられていたり、課題が提示されている状況であれば、「見ているだけ」という状況は必然的に起こる状況であるといえます。

そのため、状況によっては「見ているだけ」という教員は悪ではないと個人的には思います。

何かしていないとそわそわする

私は校種が変わろうとも、この「見ているだけ」の状態を作り出そうと授業準備をするのですが、いざ、そのような状況になった時には、そわそわしてしまうきらいがあります。

やはり「教えている」という状況のほうが、教員として「何かをやっている感」が感じられますし、「見ているだけ」という状況になると「何かしないといけないのではないか」と感じてしまい、余計な口出しをしてしまうこともしばしばあります。

子ども達や学生たちが自主的に活動や課題に取り組んでいるのですから、質問などがない限り、会話に入りたいのをぐっとこらえ、「見ている」だけに徹するのですが、「見ているだけ」というのも、なかなかに難しいのだなと感じます。

基本的には教えることが好きで教員になっている方が多いのかなと思いますので、その「教える」という行為に制限をかけるというのは、教員という種族には酷な条件なのかもしれません。

家事をしながら子供を見守る母親

今回は「見ているだけ」の教員についてお話ししました。

一点注意ですが、「見ているだけ」という状況を作り出すためには、それ相応の時間と準備が必要だと感じます。

小学生であれば、繰り返し役割をこなすことによって、その内容を覚えさせる必要がありますし、学級全体が上手く機能し始めるためには時間が必要となります。

大学生の授業であれば、学生が課題解決にどの程度時間がかかり、課題はいくつ程度用意する必要があるのか、グループワークの進め方はどうするのかなど、授業時間内に検討が上手く進むように内容を考える必要があります。

もちろん、「見ている」時間についても、ただ座ってじっとしているだけではなく、机間巡視をしたり、困っている様子があれば声をかけたりという配慮は必要でしょう。

重要なのは「出しゃばりすぎない」ということです。

大学の講義において「見ているだけ」というのはほぼ不可能であると思いますが、演習に関しては「見ているだけ」という状況を目指す余地があると思っています。
といいますか、私は常に目指しています。

賛否両論あるかと思いますが、ぜひ、本記事をご覧いただいた方のご意見も賜れたらと思います。

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