今回は資料の活用方法に関するお話をしようと思います。
授業資料は「最低限」まとめる
私は授業において基本的にパワーポイントを使っています。
パワーポイントの活用には賛否両論ありますが、画像や動画、重要事項などをまとめやすいため、個人的には好きで使っています。
そして、授業で使ったパワーポイントは授業後に学生が見られるように、大学のシステムを活用してアップロードしています。
コロナ禍前はそのようなことはしていなかったのですが、コロナ禍では、資料をアップロードするよう大学からの指示があったため、現在もそのスタイルを継続しているといった感じです。
資料に関しては、パワーポイントや紙、特定のシステムを使って共有するなど、どのような形でもよいのですが、資料の活用方法については持論をもっています。
それは「最低限まとめる」ということです。
基本的に資料をみれば、その授業で学ぶ内容の最低ラインは理解できるようにしています。
ただ、各項目や事項の考え方、理解の流れなど、資料では伝えきれない、伝えづらいことを口頭で説明、解説するというかたちをとっています。
そのため、資料を見ただけで内容が理解できる学生がいた場合、それはそれでよいと思っています。
授業の目的は「内容を理解する」ことであり、「私の話を聞く」ことではありませんので、授業中は上の空で、授業後の配布資料で内容を理解する学生がいたとしても、私は特に指摘しません。
ただ、あくまで最低限をラインとして資料を作っていますので、内容を深く理解するためには、解説を聞く必要があるようにしています。
つまり、授業中の口頭説明をしっかり聞く必要があるということです。
資料を読むだけの人
ここまで私の授業方法について簡単に説明をしてきましたが、ここからが記事のタイトルに触れる話となります。
私は、「資料をそのまま読む人」が行う説明が嫌いです。
なぜなら、資料を読めばわかるからです。
会議や学会発表などでもよくあることなのですが、資料に書いてあるのであれば、「資料をご覧ください」でいいと思っています。
大人同士の話ですので、資料を読み上げなくとも理解できると思います。
重要なのは、「資料を基に行う説明、解説」なのだと思います。
そのため、私の授業の話に戻りますが、「最低限まとめた」資料を基に説明を行うことが本来の「説明、解説」になるのだと考えています。
時々、大学の授業の中でも文字だけを羅列した資料を作成し、それを読み上げる形で授業を進める方がいますが、正直、見づらいだけでなく、読み上げるだけであれば、教員はいらないのでは…と思ってしまったりします。
逆に文字が少なく、画像や図などをたくさん使っているため、文字が全然出てこない方もいますが、個人的にはそれでいいと思っています。
資料を提示しながら解説をするのが本来の資料の活用方法だと思います。
(こちらに関しても、時々「文字が少ない」とクレームをつける方がいるようですが、そのような方とは分かり合えないと思っています。)
愚痴のようになってしまって申し訳ありませんが、これは学生の力を伸ばすことにもつながると思っています。
高校生までは基本的に板書をノートに写すことが多いため、「話」をメモするということに学生は慣れていません。
しかし、大学以降の社会でご丁寧に板書を作ってくれる人や会社などはほとんどありません。
そのため、話の中から重要なことをメモするという力を身につけてほしいという裏目的も含んでいます。
教員でない方は、会議などで資料を読み上げる人が続いた後、自分の番が回ってくると、つい自分も資料を読み上げがちになるかもしれませんが(私はそうでした)、ぜひ、「資料をご覧ください」で一刀両断しましょう。
会議の時間短縮に大いに貢献できるはずです。
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