今回は、短大から4年制大学へ異動しようと思ったきっかけについてお話しします。
途中、愚痴のような内容も含まれますので、不快にさせてしまうかもしれませんがご容赦ください。
短大教員から4年制大学に移動した際の話については、以下の記事をご覧ください。
学長の何気ない一言
短大に勤めて3年目を迎えたある日のこと、私は学長室に呼び出されました。
その年、私は教務委員長をさせてもらうこととなっていましたので、委員会の開催時期とその報告について、スケジュールを確認するためでした。
誤解を与えてはいけないため説明をしておくと、短大と4年制大の教務委員長は仕事内容も重みも全く異なります。普通、一介の講師が教務委員長、さらに3年目の新人クラスがすることではありません。
上の方々がこぞって委員長の役割を拒否し、誰もする人がいなくなったため、仕方なく私にお役目が回ってきたということです。
手当もなく、ただ責務だけが増えるという仕事でした。
学長室に伺うと、学長は私の所属する学科の時間割表を持っており、私の授業コマを確認していたようでした。
その空いたコマに教務委員会の報告を入れようと思っていたようです。
その時、ふと学長が言いました。
「先生は、結構空いているんだね」
人が何かを決断する時というのは、かしこまった場で発言される言葉ではなく、日常の何気ない言葉がそのトリガーを引くのだなと感じた瞬間でした。
この瞬間、私は短大を出ようと決意しました。
感じた恐怖
短大を出ようと決意した要因は他にもたくさんあったのですが、間違いなく、トリガーを引いたのは上記の言葉でした。
今でもその瞬間をはっきりと覚えています。
私はその時、教務委員長、IR推進委員長を兼務し、授業のもちコマとしては年間20コマを担当していました。
過去の記事でもお話ししたことがありますが、年間20コマというのは大学においては多い部類に入ります。
しかし、時間割に空きコマが少しでもあるということ、つまりそれは「空いていると事実に他ならない」と判断されてしまったのです。
そもそも、この学長は元々高校の教員をされていた方で、学長になったのは、学園の理事長が引き抜いてきたから、という理由でした。
しかも、高校でもほとんど行政にいたため、現場経験は若手の数年~十数年しかありません。
まあ、行政に長くいたからこそ、引き抜きがかかったのかもしれませんが…。
学長にとって大学という場所は働くうえでは初めてであり、私と同年に学長になられた方だったため、学長としての経験は3年といった状況でした。
話を戻しますが、私は上記の出来事で、
・空きコマを全部埋める勢いで仕事を入れられる可能性がある
・研究という概念がない
上記2つに関する危機感を覚えました。
「学長も学長として、これまでと違う畑で頑張っているんだから」といわれたら、確かにその通りです。
しかし、その思考を大学仕様に変えてもらうにはあまりにも時間がかかりすぎることと、本当に大学仕様に変えてもらえるのか、その保証もありません。
それであれば、自分が違う場所に行くしかないと考え、その年の公募に応募したという結末です。
日常の一言は恐ろしい
おそらく、学長は純粋に空いているコマがあるんだね、という軽い気持ちでお話しされたのだと思います。
特に悪気があったようにも思えませんでした。
しかし、それまでに不満や不安が蓄積されていると、何気ない日常の一言で人の心はダムのように決壊します。
私の場合は、短大でもう少し頑張ろう、という考えが崩壊した瞬間でした。
研究日がない分、その空きコマで研究を行います。
採点や、日々の授業準備もその空きコマを利用しています。
学務分掌に関わる打ち合わせや会議もその空きコマを利用しています。
このように説明すればよかったのかもしれませんが、私にはそこまで説明する情熱はありませんでした。
当たり障りのないことをいって、適当に流した気がします。
今回は短大を脱出するに至った何気ない会話についてお話ししました。
郷に入っては郷に従えと言われますが、トップが変わると、その郷も変わる可能性があります。
歴史ある強固に根付いた郷なら良いのですが、そうでなければ、注意が必要です。
同じ教員でも、校種が変われば環境はがらりと変わりますので、違う校種に変わる予定がある方は、ぜひ、新しい郷についてお調べしておくことをお勧めします。
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