今回は私が個人的にもっている教員としての信念についてお話しします。
①行動で見せられないのであれば指摘できない
語弊があるかもしれませんので、詳しく説明すると、「自分ができていないことは、それを人に指摘する資格はない」と思っているということです。
例えば、自分の箸のもち方が正しくなく、我流であるのに、それを棚に上げて子ども達だけには正しい持ち方をするように指導する、といった状況などです。
分かりづらくて申し訳ありませんが、決して「指摘しない=教育を放棄する」ということではありません。
これは、技術的なことではなく、姿勢の問題です。
私はピアノが弾けませんが、だからいって指導をしないというわけではありません。
可能な範囲で練習をしますが、それでも難しい場合には、ピアノを習っている子や上手な子をお手本にして弾いてもらうなど、子ども達の協力を得ながら授業を進めていました。
逆上がりができない教員は、逆上がりの上手な子にお手本となってもらい、子ども達に実際の逆上がりを見せてあげる場をつくることもあるでしょう。
このように、教員もスーパーマンではありませんので、すべての教科において何でもできるということではありません。
ただ、姿勢は示すことができます。
私が上記のような姿勢を意識している理由としては、自分ができていないことを子ども達に求めても、「先生はしていないのに、どうして自分達だけしなくてはいけないの」という疑問を持つ子が必ず1人はいるからです。
つまり、「説得力」の問題です。
日頃から行動で、背中で示すことができていれば、子ども達は信頼してくれて、教員の発言にも説得力が出ます。
しかし、指示をするだけして、自分は改善しないような姿勢が子ども達に伝わると、言葉の説得力が失われ、たちまち指示は通りづらくなります。
挨拶をする、正しい姿勢を保つ、汚い言葉を使わない、隅々まで清掃をするなど、学校生活の中で子ども達に指摘することは多々あります。
ただ、指摘をするからには、まず、自分自身が指摘する行動をきちんと行えているかどうかを振り返る必要があると思うのです。
そして、その行動が行えていない、自信がない、という場合には、子ども達に指摘する資格はないと個人的には思っています。
古臭い考えかもしれませんが、教育とは言葉だけでなく、「背中(行動)」で示すものでもあると思います。
②不備を認めて謝罪する
なぜか子どもに「謝れない」教員が多いと感じています。
自分が説明したことと違っていたり、当初の予定から何かしらが変わった場合など、自分の不備があったときには素直に子ども達に謝罪するのが当然だと私は思っています。
これは大人だから、子どもだからという問題ではなく、不備を認めるかどうか、という部分が問題となるのかもしれません。
何も難しいことはないのですが、なぜか、これができない。
取り繕うと、それは子ども達にも伝わり、その後の信頼関係にも影響を及ぼします。
そのため、私は不備があった場合だけでなく、子ども達との約束を守れなかった時でも謝罪をしていました。
もちろん、必要以上に謝ることは教員と児童(生徒、学生)の関係を崩壊させかねませんので、むやみやたらに謝る必要はありません。
自分の不備があったと感じたのであれば素直に謝罪をする、という姿勢が大切だと私は思っています。
③楽をする
これも語弊があるかもしれませんが、「時間をつくる」と言い換えた方がよいかもしれません。
ただ、結果的に楽を追求することに変わりありませんので、小見出しはそのままにしています。
以前、以下のような記事を書きました。
現代の教育現場は激務といっても過言ではないと思います。
その姿が映し出される機会も増え「ブラック」の象徴的な職業となってしまっています。
このような時代だからこそ、「楽をする」ことを追求したいのです。
「楽をする=手を抜く」ということではなく、子ども達にできることは任せてしまい、自分の時間を確保するということです。
もちろん、「テキトー」に任せるのではなく、「適当」に役割を与えなければなりません。
自分がいなくても学級活動が行えるようなシステムを構築し、授業以外は自分達で運営できるようにしていくのです。
このシステムが上手く回るようになると、小学校では少なくとも朝の会、帰りの会、給食、掃除などは何もしなくても回ります。
もちろん、さぼったり、きちんと取り組めない日もありますので、活動の確認は必要になりますが、それも周りの子ども達が注意をしてくれるようになっていきます。
自分が思っているほど子ども達は子どもではないため、できることは子ども達にお願いするのが最善だと考えています。
時間ができたらできたで、何かしらに時間は取られるのだと思いますが、丸つけを進めたり、子ども達と遊んだりと、時間的、精神的余裕が生まれるのは事実です。
どうすれば時間を作ることができるのか、楽をすることができるのか、ということを考えながら子ども達に役割を振っていくことは、必ずしも悪ではないと個人的には思います。
今回は私は意識している3つの信念についてお話ししました。
教員をされている方はそれぞれ信念をお持ちかと思いますが、ご自身の信念を確認するきっかけになれば幸いです。
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