今回は怒れない教員についてお話ししたいと思います。
大学には怒れない教員が多い
小見出しの通りですが、大学では「怒れない教員」が多いと感じます。
最初に断っておきますが「怒る」という言葉に関して、最近は「指導する」「注意をする」というように書き換えられることもあり、「怒る」という言葉を使うことが憚られることがしばしばありますが、実際のところ、厳しい言葉を投げかけることもありますので、あえて「怒る」という言葉を使っています。
今回の記事は言葉の意味についてお話しすることが本質ではありません。
話を元に戻しますが、「怒らない教員」というのは、基本的に「授業の進行に支障をきたす学生がいるにもかかわらず、指摘をしない教員」ということです。
見方を変えれば、「学生の私語が気にならない教員」や「怒るまでの許容範囲が広い教員」などともいえるかもしれません。
ただ、勘違いをしてはいけないのは、それは教員側の話であって、学生の中には他の学生の言動や行動で迷惑だと感じている学生がいるかもしれないということです。
そして、「怒れない教員」とは、「授業の進行に支障をきたす学生がいるにもかかわらず、指摘ができない教員」と言えます。
なぜ怒れないのか
これは怒れない教員に聞いてみないとわかりませんが、様々な理由があるかと思います。
学生から嫌味を言われるのが嫌、厳しく伝えることが苦手、怒らなくとも授業は進む、など、本当に様々だと思います。
人によって私語や授業運営に支障をきたす基準というのは様々ですので、この問いに対する明確な答えはないでしょう。
大学は教員による授業規律の差が激しい
大学教員は教員でありながらも、教育のプロとは言い難い側面があります。
なぜなら、大学では授業運営の仕方など学ぶ機会がほとんどなく、大学教員となってから授業力をあげるのは、自主的に学んでいかない限り難しいと感じます。(教員養成に関わっている学部、学科等を除く)
強いていうのであれば、ピアレビューやFD研修などで、他の教員の授業運営の仕方を参考にする、といった程度かと思います。
そのため、規律などを共有することもなかなかに難しいと感じます。
そうなると、1人の教員が厳しく指導をしたとしても、学生たちは教員によって態度を使い分け、厳しく指導をする教員の時だけ大人しくするといった対応をとってきます。
この対応に関しては、大学に限ったことではありませんが、ある程度の規律を共有することができなければ、全体的な受講態度に対する指導も難しくなります。
重要なのは自分ではなく、真面目に受けている学生
教員がある程度の規律を設けなければ、不利益を被るのは真面目に受講している学生となります。
教員が授業を進めづらいということもありますが、それは結果的に良質な授業内容を提供できないことにつながり、ひいては真面目に受講している学生の不利益となります。
そのため、「教員が授業をしづらい」というよりも、「真面目に受講している学生が迷惑」とならないよう、指導をしなければいけないと思うのです。
時折り、「私は学生の私語が気にならない」、「そんなカリカリすると雰囲気が悪くなる」といった教員側の意見も聞きますが、そういった教員側の事情などどうでもいいのです。
学生が迷惑と感じていれば、指導が必要なのです。
授業の最初が重要
指導の方法は様々ですので、タイトルにあるように怒る必要はありません。
教員が話すのを止める、語りかける、退出させるなど、その方法は様々だと思います。
ただ、この教員はこのようなことをすると怒る、指導される、ということを示しておく必要があります。
そして、それは各授業の初回で示しておくことが有効だと私は考えています。
私の場合、受講の初回で禁止事項を厳しめに伝えます。
語気を強めるとかそういうことではなく、こういうことをしたら退出してもらいます、といった形で授業が受けられなくなりますよ、ということを警告する感じです。
シラバスや評価基準と同様に、受講の注意点については初回に説明しておくことで、ハラスメントなどの防止にもつながります。
伝えているという事実が大切です。
今回は怒れない教員についてお話ししました。
基本的に嫌われたい人はいないと思いますので、怒りたい教員はいないと思います。
ただ、怒る必要が出てきたときには、自分の感情云々ではなく、「現在の状況に困っている学生がいる」ということを自覚すべきだと思います。
そのように考えることができれば、自分ではなく人のために動くこととなるため、少しは指導がしやすくなるかもしれません。
真面目に学んでいる学生が不利益を被ることだけは避けたいですね。
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