今回は職業病についてお話ししたいたいと思います。
職業病
仕事を続けていくうちに、その仕事が原因で起こる病気などのことを「職業病」ということがありますが、その職業に就いているからこその「癖」のようなものも職業病ということがあります。
例えば、教員であれば、学校や教育現場ではないにもかかわらず、教えたがる、飲み会の場で教えたがる、家庭でも教えたがる・・・など。
冗談(半分本気)ですが、教員以外の職業にもその職に就いているが故の癖のようなものが存在するかと思います。
私は社会に出てから教員しかしたことがないため、職業病に罹っているとしたら教員という職に就いているが故の病になるかと思いますが、これからお話しする症状は他の仕事でも当てはまるのではないかと考えていますので、職業に関わらずお読みいただけたら幸いです。
仕事を探してしまう
文字面だけでみると良いことのように感じるかもしれませんが、決して褒められたものではありません。
これまでの記事でも少し紹介したことがありますが、短いながらも小学校教員時代の仕事は激務でした。
その環境下では次から次へと仕事が降ってくるため、マルチタスクはもちろん、見通しをもって仕事を進めなければクラスの子ども達はもちろんのこと、学年にも迷惑をかけてしまうこととなりました。
そのような中で過ごしていると、自然と「次の仕事は何か」という意識が身につきます。この意識自体は良いことかもしれませんが、度を過ぎると毒になります。
常に仕事を探す、確認することが癖となってくると、夏季休暇等の長期休暇においても、「何かすることはないか」「何かしておかなければならないことは何か」という一種の強迫観念のような考えに至ることが常となりました。
こうなると、体は休めていたとしても頭は完全に休むことが難しくなります。
起きている限り仕事のことが気になってしまい、仕事がないのに学校に行ってしまったり、不要な仕事を見つけては取り組んだりということが多々ありました。
教員という仕事に就いていればお分かりかと思いますが、仕事は基本的に無くなることはありません。
事務的な作業が終わったとしても、「授業研究」というものを仕事とカウントすれば、定年するまで仕事がなくなることはありません。
何かしらの仕事はあるのです。
そのため、区切りをつけて休むということが必要となってくるわけです。
ただ、小学校教員時代の私にはそれができず、常に「仕事を探す」という状態に陥ってしまっていました。
そして、それは今でも抜けきれておらず、だいぶマシにはなったものの、休暇であっても仕事のことを考えてしまうことが依然としてあります。
意味を求めてしまう
また、職業病とは違うのかもしれませんが、小学校教員として働き始めてから変わったことがもう一つあります。
それは、自分の行動に「意味を求めてしまう」ということです。
休暇中や空き時間における過ごし方について、「これ意味あるのかな」「これは自分のスキルアップにつながるぞ」という判断を下すことが多くなったと感じます。
例えば、YouTubeを見るということは情報を仕入れることになりますのでまだ良いのですが、ゲームをする等ことが一切なくなりました。
ゲームをクリアしたところで何が得られるのだろう、と考え始めると、ゲームを始める意欲がわかなくなったのです。
以前であれば、そのような意味を考えることなく、純粋にゲームをクリアすることが「楽しい」「面白い」という感情でゲームをしていたと思うのですが、ゲームをクリアしたその先にあるものを求めてしまうと、ゲームをやる意味を見出せなくなってしまったのです。
これは性格的なものもあるかもしれませんので、職業病とは言えないかもしれませんが、休むことにも意味をみいだすようになってしまったため、余計に休めなくなったという実感があります。
休むことも仕事の一つ
上記の話は、無理がきいた20代だからこそできた話かと思っていますが、やはり休むという決断は必要だと思います。
仕事が趣味で、仕事自体が楽しいという方は別かもしれませんが、基本的には勤務日と休日とのバランスが大切だと感じます。
仕事のことを全く考えないというのは難しいかもしれませんが、極力意識から消せるような休日の過ごし方ができれば、多少なりとも「休む」ということになるのではないかと思います。
何事も「長く続ける」ためには休むことが必要となりますので、自戒を含めて、先を見通した休み方というものを考えたいものです。
今回は職業病についてお話ししました。
教員の方は現在、夏季休暇中かと思いますので、ぜひ、仕事のことを意識から消して、全力で休暇を楽しんでいただきたいものです。
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