今回は先行研究についてお話ししようと思います。
巨人の肩の上に立つ
大学教員や研究者であれば誰もが知っている言葉かと思います。
論文検索ツールの一つである「Googleスカラー」のトップページにも表示されているこの言葉、かの有名なアイザック・ニュートンが広めたという説や、最初に用いたのはシャルトルのベルナールであるという説があったりします。
誰が発言したのかはともかく、この言葉は「これまで行われてきた先人の成果に基づいて、新たな成果を出すこと」という意味を持っています。
多少解釈が違う部分があるかもしれませんが、おおよその意味は上記の通りです。
似た言葉には、温故知新、守破離、なども言葉も存在します。
研究というのはまさにこの通りだなと思うことが多々あり、現代における我々の研究は先人の研究の上に立っているのだと感じます。
時々、研究とは発見することだと思い込み、センスやひらめきが新たな発見につながるとおっしゃる方もいますが、少し語弊があるのかなと感じます。
確かに、研究にはひらめきが必要ではありますが、新たなひらめきに気づくためには、増大な量の先行研究を読み込み、先人の研究をきちんと理解したあとに初めて、ひらめきが活きるのだと思うのです。
iPS細胞を発見したことで有名な山中伸弥先生も、iPS細胞はES細胞の発見という先行研究を基に発見されています。
その他の研究においても、全くまっさらな状態から発見した知見というのは非常に稀であり、ノーベル賞を受賞するような偉大な研究においても、先行研究に基づいて、新たな発見をしてるのです。
多くの先行研究にあたること
上記のような理由から、私は先行研究に当たることは研究を始めるうえで最も重要なことであると考えています。
当たり前ではあるかもしれませんが、先行研究の探し方、読み込みが甘く、研究自体の価値が薄くなってしまうことがあるのです。
そのような研究を行った時には、先行研究にもっと深く当たることの重要性を感じて反省します。
論文の中で最も難しい「序論」
先行研究への当たり方が足りなかったな、と感じるのは、論文の序論を書いているときが最も多いです。
序論は研究に至った背景やこれまでの先行研究を基に、当該研究に取り組んだきっかけのようなものを書いていきます。
先行研究にしっかりと当たれている場合は、この序論がスラスラと流れるように書けるのですが、当たり方が甘い場合、なかなか文章が進みません。進まないから改めて先行研究を調べるのですが、その際に見落としていた研究内容がボロボロ出てきて、今回行った研究内容の価値がガクッと下がってしまうことがあります。
そのため、時間をかけて先行研究にあたり、研究の背景を含めたストーリーが出来上がってようやく実証に進めるのが理想です。
(調査が甘く、理想通りには上手くいかないことがほとんどなのですが…)
研究を行う際はもちろんなのですが、日ごろから気になる分野の先行研究に当たり、少しずつ知見を蓄積していくことが大切だと感じます。
毎日一本の論文を読む、と決めていろいろな先行研究に当たっていた時期もありましたが、やはり続きませんでした。
私は面白そうな研究がひらめいたとき、まずは他の誰かが同じような研究をしていないか、まず疑います。
自分がひらめくんだったら、世界中の誰かがひらめいているだろうと思うのです。
大方、似たような研究が発見されるのですが、世の中には解明されている謎がまだまだ無限にありますので、するりと抜け出して研究を進められることがあります。
私の場合は自信がないだけですが、自分がひらめいた研究が他の誰も行っていないと最初から思うのはいささか傲慢だと感じます。
やはり、巨人の肩の上に立ってから考えるべきです。
今回は先行研究に当たることの重要性についてお話ししました。
人類は一人では無力に近い小さな存在かもしれませんが、時代を超えて、知見を後世につなげていくことによって、巨人のような大きな存在になれるのだと思います。
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