過程と結果~大学以降は結果が全てだ~

雑記

今回は「結果が全て」ということについてお話ししたいと思います。

成績評価

大学ではそろそろ前期の通常授業が終わり、成績評価の期間へと入っていきます。

大学における成績評価は年々可視化が求められており、その基準についてはシラバスに明確に記載すると同時に第1回の授業でも説明することが望まれます。

そのため、最近はシラバスに「〇〇:30%」「△△:40%」といった形で明確に成績の基準が示されていることがほとんどです。

しかも、授業というのは基本的に出席することが前提となっていますので、「出席:〇〇%」というのは好ましくないとされています。

昔は出席してその場に座ってさえいれば、レポートも試験もなく単位が取れるという、出席100%という科目もあったのですが、少なくとも、私の勤める大学では出席に対する配点は認められていません。

科目によっては「グループワークへの関与度」「質疑応答における態度」などを評価して配点する科目もありますが、「意欲・態度」といった項目は数値化しづらいため、今後少なくなっていくと考えられます。

頑張っている学生

このように、現在は明確な評価基準に基づいて成績評価がなされているのですが(少なくとも本学では)、明確な判断基準は時に残酷な現実を突きつけることもあります。

それは「頑張っているのに点数がとれない学生」に対してです。

義務教育段階までであれば、担任と児童・生徒の距離が近く、1年間同じ学級でともに過ごしますので、子ども達の様子がよくわかります。

そして、小学校などは数値ではなく「◎」「〇」「△」などで評価をすることもあり、各科目の評価には「関心・意欲・態度」といった情緒面の評価も含まれるため、科目の総合評価には少なからず「過程」が反映される仕組みとなっています。

一方、大学は学年という括りはあれど、学級を形成しているわけでもなく、小中高までのように毎日担任と顔を合わせるということもないため、「授業」でしか教員と会うことは基本的にありません。

もちろん、ゼミという小単位での授業もありますが、全体の授業数に対する割合としては非常に少ないものとなります。

そして、上記でもお話ししましたが、大学の授業は「意欲・態度」といった「過程」が反映される評価基準が「数値化しづらい」という理由から敬遠されるようになってきていますので、レポートや試験といった「結果」で評価が下されます。

そうなると、毎回一番前で授業を受け、質問をして、グループワークにも熱心に取り組んでいる学生であったとしても、レポートや試験で点数が取れなければ、落第となってしまうわけです。

結果が全て

ここまでの話を聞くと、「可哀そうなんです」「残酷なんです」という話につながっていくのかなと思われるかもしれませんが、全く違います。

私が言いたいのは「この世は結果で判断される」ということです。

冷徹に聞こえるかもしれませんが、大学以降、社会人になって過程が評価されることなど、ほとんどありません。

「どれほど頑張ったか」ではなく「何をしたか」で判断されるわけです。

そのため、過程が評価される義務教育課程(高校も含まれるかもしれませんが)とは異なり、大学以降は結果にこだわらなければならないと思っています。

もちろん、法を犯したり、人に迷惑をかけることを是とするわけではなく、与えられた環境で結果を出すことが必要ということです。

経験を上手く価値に変えて成功される方もいますが、それでも、年収300万の会社に就職した人と、年収1000万の会社に就職した人とでは、頑張りや人柄に関わらず、就活に関する情報が求められるのは年収1000万の人でしょう。

言葉として書き起こすといけないことを書いているようで罪悪感が生まれますが、これは紛れもない事実であり、避けて通れば通るほど良い結果は産まれません。

「頑張っていればいつかは報われる」、「過程を大切にしなさい」

そういった言葉かけられることや、目にすることもあるかと思いますが、それを糧として良いのは最低でも高校生までです。

もちろん、目的を果たすために適切な努力は必要なのですが、大学生以降の「大人」であれば、結果が全てであり、結果の大きさに比例して「過程」の価値が決まると思うのです。

結果を出している人の経験(過程)は「価値」が高まり、結果が出ていない人の経験(過程)は見向きもされないでしょう。

それが現実なのです。

そのため、自分のことを持ち上げるわけではないのですが、小学校から大学教員を目指している方には、大学教員公募をパスすために必要な実績を残し、とにかく「大学という環境」に入ることが何より大事だと思うのです。

自分のレベルに合っていない大学の公募ばかりを受け、いつまでも大学教員になり切れていないのであれば、短大、高専など、少し公募のレベルを下げてみて、とにかく「大学教員(もしくは研究者)」になったという結果を残す。

そうして「結果」にこだわって努力を重ねるうちに、自分の望む「結果」へと近づけると思うのです。

結果と電卓

今回は感情的な話となりましたが、結果と過程に関するお話をしました。

上記の話と矛盾するかもしれませんが、結果を出している人は少なからず努力をしているはずです。

本人がそれを努力と感じているかは別ですが、何もしないで結果につながることなどないと思います。

目標達成に向けた適切な努力をしたうえで、結果にこだわる姿勢が大切だと私は思っています。

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