大学教員という職は大好きだけど、大学教員という肩書は大嫌い

雑記

今回はタイトルが長くなりましたが、大学教員という職について自分の考えをお話ししたいと思います。

大学教員という職は大好き

私のクリエイター名からもわかるように、元々は小学校教員をしていましたが、現在は大学教員をしています。

教員という職自体が好きというのもありますが、そこに研究が加わる大学教員は私にとって天職だと感じています。

そう思わせてくれる大きな要因は「自由度が高い」という点です。

良くも悪くも自分で決めて、自分で進めてしまう私は、誰かに縛られるのが苦痛に感じることがあり、自分で物事を進めたいというタイプの人間です。
そのため、より自由度の高い大学教員としての働き方が大好きです。

もちろん、自由とは、裏を返せば常に責任が付きまといます。ただ、自分でコントロールできることが多いというのは、自分という人間に非常に合っていると感じるのです。

また、教員は校種に限らず、皆、研究者だと思っていますが、研究のために使える時間が多いということと、研究のための助成が受けやすいということが、大学教員としての大きなメリットだと考えています。

人それぞれ感じ方は違うとは思いますが、私という人間にとっては、大学教員という職に就けたことを幸せに思うとともに、そこに導いてくれた方々には感謝しかありません。

大学教員という肩書は大嫌い

一方で、大学教員という肩書は大嫌いです。


大学教員の肩書については以前も記事にしたことがありますので、よかったらご参照ください。

大学教員の肩書き|小学校教員から大学教員になるまで
今回は大学教員の肩書きについてお話ししようと思います。 大学教員の肩書きには、基本的に助教、講師、准教授、教授という4種類があります。 厳密には助教の前に助手という肩書も入ったりしますが、基本的には助教から始まることが多いです。 また、これ...
https://note.com/embed/notes/n56c2345f60dd

誤解のないようにお話しすると、大学教員の「職位」が嫌いなのではなく、「大学教員」という職業名が嫌いなのです。
つまり、職位も含めて嫌いということになります。

実際、職業を聞かれた際には、「教員」とだけ答え、追及されたときにだけ「大学教員」と答えるようにしています。

正確には「嫌い」というよりも「怖い」といったほうが近いかもしれません。

なぜ大学教員という職業名が嫌いなのかというと、社会的に高地位と思われているからです。
もちろん、私自身は大学教員という職業が社会的に高地位だとは思っていませんが、客観的に見たときには、そのようにみられることが多いと感じます。

「高給取り」「偉い」「賢い」といったイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。

確かに、お金をしっかりと稼ぎながら、社会にも大いに貢献している先生方もたくさんいらっしゃいます。

世に有名になノーベル賞を受賞した方々の中には、大学で教鞭をとっていた方も大勢いらっしゃいます。

ただ、それはほんの一部であり、大学教員全体に当てはまるとはいえません。

大学教員の多くは少ない研究費で工夫を凝らしながら研究を行い、外部資金が獲得できないときには自腹を切ることも日常茶飯事です。
そして、自分の専門には強いのかもしれませんが、他の分野や一般常識についてはからっきしであることも珍しくはありません。

つまり、決して賢いというわけではなく、一つの物事に長く付き合っているだけ、と私は解釈しています。

このように、社会のイメージと大学教員からみたイメージというのは乖離していることが多く、社会からのイメージや期待にこたえられるだけの知識や技能を持っているわけではない、というのが、私が怖さを感じる根源です。

そのため、職位に関しても執着がなく、できれば低い職位でいたいというのが本音です。
正直、職位で給与ががらりと変わるということはなく、職位よりも年齢や所属大学の規模のほうが給与に与える影響は大きいため、高い職位につきたいとは思わないのです。

高くなっていく職位に自分の知識や技能が追い付いているとは到底思えず、「准教授です」「教授です」など肩書に触れることは極力避けたいというタイプです。

小・中・高校教員から大学教員になったとき

小・中・高校教員から大学教員を目指されている方向けに情報を発信している私のnoteではありますが、大学教員になった際には、十分注意してほしいことがあります。

それは、

「調子に乗るな」

ということです。

私が言えたことではありませんし、私から言われたくもないと思いますが、現場の教員から大学教員になると働き方はもちろん、周りの待遇も変わってくるのです。

自分の名前の入った個室(研究室)が与えられたり、有識者として講演や研修の依頼が入ったり、本や新聞に自分の名前が載ったりと、少し有名人にでもなったような錯覚に陥ることがあります。

おそらく、初対面の人に「大学教員です」と職業を教えると、多くの人は「おぉ」「頭いいんですね」「立派ですね」というような感嘆が含まれた反応を示されることが多くなると思います。

そうなると、自分が偉くなったように勘違いする人が出てくるのです。

正直なところ、私も最初は自分の名前の入った研究室を見て、嬉しくなったのは事実です。

ただ、大学教員は大学で働いている教員、というだけで、何も偉くなく、賢くもないのです。

偉いというのは、これまでその人が蓄積してきた研究などの成果をもって、周りが判断することであり、本人が「自分は偉いんだ、有名なんだ」と思うのは勘違いもいいところです。

偉人

今回は半分嫌味のような記事になって今しましたが、私が感じている大学教員という職についてお話ししました。

正直なところ、大学教員の中には偉そうにしている人が多く、事務職員などに辛辣な言葉をかけたり、ひどい対応をする教員もいます。
(もちろん、人格的にも大変優れた先生もたくさんいらっしゃいます。)

そのような教員を目にするたび、大学教員という肩書はいらないなぁと思うのです。

最終的には「教授」という職位を目指すにしても、自分の知識と技能がその職位に追いつくように努力しつつ、淡々と研究成果を社会に還元していきたいと思います。

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