今回は百聞は一見に如かずということについてお話ししたいと思います。
自分がそのステージに立たなければわからない
百聞は一見に如かずという言葉は、誰しもが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
「百聞は一見に如かず」という故事の意味を確認しておくと、
人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる。
デジタル大辞泉(小学館)
という意味ですが、これは「見る」ということに限らず、広い意味で「経験」にも置き換えられると思っています。
つまり、人から何度も話を聞くより、自分で経験したほうが確かであり、よくわかる、といった感じです。
人から聞いた情報というのはどこまで行っても二次情報であり、自分で経験した情報である一次情報には、正確性も理解度も有用性も劣るといえます。
ただ、世の中のほとんどは二次情報であり、学校で使う教科書や現代のSNS、テレビなどのメディアも自分で経験したことではありませんので、自分に入ってくる情報を全て一次情報に限定するというのは、社会の中で活きている限り不可能といえます。
そのような社会の中で、私たちは日々、二次情報に影響を受け、踊らされ、喜び、悲しみながら生きているわけです。
このような社会で生きていると、ふと感じることがあります。
それは、「結局、自分がそのステージに立たなければわからない」ということです。
例えば、「お金を持つより幸せなことはある」という言葉を時々見かけます。
確かに、お金以外にも幸せを見出すことはできるのだと思いますが、個人的に、それは「お金に苦労しなくなった人」が言える言葉であって、経済的困窮から目を背けるために言う言葉ではないと思うのです。
つまり、「お金を何不自由なく使えるステージ」に立っている人だけが「お金以外の幸せ」について考える権利があるのだと思うのです。
「お金以外の幸せがある」ということを二次情報で知っている人と、一次情報で知っている人とでは、その意味合いや価値が異なってくると考えます。
大学教員公募や科研費も同じ
私は職業柄、大学教員公募や科研費に関する情報を発信しています。
偉そうに聞こえてしまったら大変申し訳ないのですが、私が発信できるのは、大学教員として採用され、科研費を取得したことがある、という経験(一次情報)があるが故のことだと思っています。
大学教員として採用されてなかったり、科研費を取得したりしてなければ、私の記事は全て詐欺となりますので、当たり前ではありますが、、、。
話がごちゃごちゃしてきてしまいましたが、私がお伝えしたいのは、「一次情報を掴みに行く」ということが重要なのだということです。
大学教員公募にしても、私の記事を参考にしていただくのは非常に嬉しいのですが、最終的には自分で公募に応募しなければ「ただの二次情報」で終わってしまいます。
二次情報を一次情報へと変えていけるのは、実際に行動した人であり、そのステージに立とうという意思をもった人だけなのだと感じるのです。
つまり、何百回情報を仕入れようとも、一度も見に行こうとしない(行動しようとしない)人は、いつまでもそのステージに立った人の考えを理解することができないと思うのです。
そして、最終的に自分の望むステージに立てる人は、正しい努力で何度も挑戦した人だと思っています。
今回は百聞は一見に如かずという故事からお話ししてみました。
ただの精神論ですが、大学教員公募や科研費などには応募し続けるという根気が必要となってきます。
二次情報を基に一次情報を集めていくことで、自分なりの戦略なども見えてくるため、とにかく動いてみることが大切だと改めて感じた次第です。
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