大学教員は暇であるべき

大学教員の仕事

今回は大学教員の暇な時間についてお話ししたいと思います。

日本の大学教員は事務作業が多い

私は海外の大学で働いたことがないため、実体験をお話しすることができないのですが、海外から日本に戻られた先生方は口をそろえて、

「日本の大学教員は事務作業が多い」

と言われます。

最近拝見したYouTubeの中でも、筑波大学の柳沢正史先生が同様のことをおしゃっていました。

どの動画かは忘れてしまったのですが、京都大学の山中伸弥先生も同様のことをおっしゃっていました。

海外の大学教員と日本の大学教員の働き方を比べてみると、日本の大学教員のほうがはるかに事務作業が多いというのは間違いなさそうです。

事務作業以外にも、学内業務や担当授業などの数も圧倒的に日本のほうが多く、海外の大学教員は「研究」に重きをおかれるため、研究以外の業務は可能な限り少なくなっているようです。

小学校教員と大学教員の比較

上記のように海外と日本の大学教員の比較については、他の方の意見を参考にさせていただくしかないのですが、私に比較できることとしては、小学校教員と大学教員の働き方が挙げられます。

小学校には事務職員も数名しかおらず、基本的に全ての授業を担当しますので、当然と言えば当然なのですが、大学教員のほうが余暇を生み出しやすいといえます。

最近では、丸付けや集金業務などをボランティアがしてくれるという制度を取り入れている自治体もあるようですが、それでも小学校教員は忙しすぎると感じます。

暇な時間はなぜ必要なのか

上記で日本の教員は忙しすぎることを指摘してきましたが、では、なぜ忙しいといけないのでしょうか。

もちろん、忙しいことによって精神的余裕がなくなってきたり、身体的負荷が大きくなってくることは健康上よくありません。

ただ、忙しい分、働いているという実感があり、仕事も進んでいる気がするというのは、日本人の多くが感じているところかもしれません。
日本人ではありませんが、かの有名なイーロン・マスクも狂ったように働くことで事業を拡大してきました。

健康を損ねない範囲での忙しさであれば、むしろ、勤勉な日本人にとっては、国民性に合った働き方をしているといえるかもしれません。

しかし、「大学教員」を含めた「創造」を必要とする職種にとっては、「暇」ともいえる時間的余裕が大変重要になると感じます。

私も偉そうなことを言えた立場ではありませんが、大学教員となってから時間的余裕の重要性を実感しています。

基本的に、研究というのは「まね」が許されません。限りなくまねに近い研究も存在しますが、他の研究とどこかしらで差異をつけなければ、それは「剽窃」や「盗用」とみなされます。

そのため、どれだけ小さな研究であろうと、自分のオリジナルでなければならないわけです。

つまり、アイデアを創出することが求められるということです。

そして、この0から1を生み出す作業というのは、圧倒的に時間的余裕があるときに創出されやすいと感じるのです。

もちろん、全ての人がそうではなく、中には忙しい中でアイデアが創出される人もいるかとは思いますが、私を含めた知り合いの大学教員は

「研究のことをぼーっと考えていたら思いついた」

「飲み会の中で思いついた」

「マラソン中に思いついた」

など、時間的余裕のある時に研究のアイデアを思いつくことが多いと感じています。

飲み会などで思いつくというのは例外かもしれませんが、研究に対してじっくり向き合える時間的余裕がアイデアの創出につながっていると思われます。

統計などを取っているわけではありませんので、主観的なことしか申し上げられませんが、少なくとも、事務作業などに追われている時間というのは、研究について考える暇すらもありませんので、その時間で新しいアイデアが生まれる可能性というのは限りなく低くなると言えるでしょう。

「ゆとり」というのは必要だった

一昔前に「ゆとり教育」という言葉が生み出され、私も「ゆとり世代」の一人です。

ゆとりというと、多くの場合揶揄されるときに使われることが多いのですが、本来のゆとり教育というのは決して批判されるような教育ではないと思うのです。

人を「学力」で判断するのであれば、現在のような詰め込み教育のほうが学力を高められるでしょう。

ただ、教えられる時間は増えても、子ども達が自分で考える時間が圧倒的に少なくなったのではないかと私は感じます(以下の記事でも述べています)。

https://note.com/embed/notes/n6e5f0513d0f2

新しい何かを創出したり、創造したりするためには、自分の興味や仕事にじっくりと向き合う時間が必要です。

再び海外の話題となってしまいますが、GARFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon.com、Microsoft)などの世界の第一線で活躍する大企業を見渡してみると、時間的余裕を生み出し、ゆっくりと過ごせるような職場環境を整えている会社ばかりです。

これらの会社では、はたから見ると遊んでいるように見える社員も、裏を返せばそれだけ時間的余裕があると言えます。

日本ではゆとり教育は失敗とされることが多いのですが、何かを創出、創造するという観点においては、必要な教育であったと考えています。

だらだらする男性

今回は「暇」ということの重要性について話をしてみました。

日本人の国民性として、勤勉ということが挙げられますので、「暇」に対する肯定的意見が増えるということは考えにくいのですが、研究を進めるためにはどれだけ暇な時間を作り出せるかということが重要だと思います。

現在、大学は春休みで比較的暇な時間が取りやすい時期ではありますので、長期休暇を活かしながら、暇を有効に使いたいものです。

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