今回は私が常々考えている「誤差を含んだ考え方」についてお話しします。
何事も思い通りにはいかない
タイトルを見るとややこしく感じてしまうかもしれませんが、私が何を言いたいのかといいますと、「何事も予定していたこと、予想していたことの通りにはいかない」ということです。
これは研究では当たり前のことですが、日常生活においても常々感じています。
例えば、週末にディズニーランドへの旅行を計画していたとしましょう。
多くの方は週末を楽しみにモチベーションをあげたり、当日のスケジュールを考えたりするでしょう。
ただ、それは「何事もなく無事に当日を迎えられた」ときの話です。
前日に新型コロナウイルスに罹ってしまったり、子連れの場合は、子どもが病気に罹ったり、けがをしてしまったりする可能性もあります。
何事もなく当日を迎えられる保証というのはないのです。
このようなことを書くと、どれだけ不安が強い人なんだ、と思われるかもしれません。
確かに、私は他の人より不安感が強い人間かもしれませんが、おそらく、ほとんどの方が、これまでの人生において、計画通りに進まなかったという経験をなさっているのではないかと感じています。
中学や高校の頃の試験勉強を思い出してみてください。
今日はこの教科、明日はこの教科、と決めていたとしても、途中で寝てしまった経験はありませんか?
私は数えきれないほどあり、起きた時の絶望感というのは計り知れない感情だったことを強く記憶しています。
もちろん、計画通りに進めてこられた方もいらっしゃるでしょう。
ただ、人生設計などの長期的なスパンで考えたときには、病気やケガ、意図していなかった出費など、予想外の出来事が起こる可能性が高くなります。
特に、病気などは自分の意図とは関係なく忍び寄ってくるため、完全にコントロールすることは大変難しいでしょう。
その時々の自己分析が必要
これまで計画通りにすべて進めてこられた方は、これから先の内容に有益な情報はありません。
先にお断りさせていただきます。
ここまで、人生には計画通りにはいかないことが多々ある、ということをお話してきましたが、どうすれば、不測の事態に備えられるのでしょうか。
私が思うに、まずはその時々の自己分析が必要かと思います。
なぜ、「その時々」なのかといいますと、人間は過去の栄光にすがり、良いときのイメージを長く持ち続けようとする生き物だと考えているからです。
子どもの運動会の徒競走に保護者として参加した際、過去の自分のイメージと自分の今の身体能力が合致しておらず、過去のイメージ通りに走った結果、アキレス腱断裂や肉離れといったけがにつながったという話を聞きます(もちろん、過去の出力を出せるわけがありませんで、昔の走り方に体が耐えられなかったということとなります)。
この例は極端かもしれませんが、人間の体は30代以降、確実に衰えてきます。
そうなると、これまでできていた徹夜や仕事の処理ができなくなったり、衰えを感じるようになったりします。
そのため、睡眠がこれまでよりもたくさん必要になったり、健康に気を遣って運動する時間を確保したりと、これまで必要でなかったことに割く時間というものが発生したりします。
このように、自分の体というのは日々変化していくことから、今の自分にはどのような能力があり、どのような範囲で処理をすることができ、どのような対策が必要なのか、というその時々に合った自己分析が必要になってきます。
体の変化だけではありません。子どもが生まれたり、家族の病気が発覚したりした場合、自分一人だけで計算していた時間の使い方というものを再計算しなければなりません。
つまり、自分にはどのような時間の使い方ができるのか、といったことも、常々考えなければならないと感じるわけです。
誤差を考える
次に、タイトルにも書きましたが、「誤差を考える」ということが必要なるかと思います。
誤差と書くと計画の微々たるズレと感じるかもしれませんが、要は、予想外の出来事に対する心構えを持っておく、ということです。
予想できる範囲であれば、「こうなったらどうしよう」ということは考えることができます。
そのため、まずは考えられる範囲で対策を講じておくことが重要でしょう。
近年頻発している地震を含む災害対策にもつながる考えかと思います。
問題は予想外の出来事が起こった場合です。
予想外ですので、対策の立てようがありません。
そのため、物理的に対策を立てるというよりかは、「何か起こるんじゃないか」という心構えを持っておくということが重要なのではないかと考えています(何か起こるんじゃないか、と考える過程で対応しておくべきことが思いついたのであれば、それに越したことはありません)。
そして、いざ、予想外の出来事が起こったとしても、私の経験上、「やっぱり何か起こったか」と冷静に物事をとらえることができるため、対応の初動を早めることができると感じます。
不安感の強い一個人の考えですので、汎用性は低いかもしれませんが、計画に対する誤差の可能性は考えておいて損はないかと思います。
今回は誤差を含んだ考え方についてお話ししました。
研究を進めるうえでも、モチベーションが上がらなかったり、急な学生の対応が入ったり、冠婚葬祭があったりと、予定していた内容が予定通り進まないことなど日常茶飯事です。
ですので、私の場合、科研費の計画書作成や外部資金の申請書作成、授業準備などの重要な仕事については、誤差を考えて長めの時間を確保するようにしています。
もちろん、予定時間が長いため、それにかまけてだらだらと過ごしてしまうこともあるのですが、それも含めたスケジューリングをしているつもりです。
この時間が使えなければ対応できない、というようなスケジューリングをしてしまうと、仕事に支障をきたす可能性がありますので、予想できないリスクも含めた計画が必要となるのではないでしょうか。
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