小学校教員と大学教員の違い⑧「挙手」

大学教員の仕事

今回は「挙手」における小学校と大学の違いについてお話ししたいと思います。

授業における挙手

授業における挙手とは、基本的には、教員の問いに対する自分の意思表示のための行為です。

教員の問いに対して、具体的に回答をする場合、与えられた選択肢を選択する場合に「自分はこう考えます。」という意思表示を行います。
(質問がある場合などにも挙手をしますが、それも「質問があります。」という一種の意思表示になると私は考えています。)

そして、この挙手は、校種によってその意味合いがだんだんと違ってきます。

小学校における挙手

小学校の授業における挙手は、多くの場合、教員の問いに対する具体的な回答を行う場合に挙手をします。

「この計算の答えがわかる人」
「この場面の主人公はどのような気持ちだったのかわかる人」

といった問いがあり、それに対して回答をするといった形です。

回答が決まっている問いであったとしても、基本的に子ども達の口から回答を引き出すスタイルとなります。

そのため、「発言をするための挙手」となる場合が多くなるかと思います。

大学における挙手

一方、大学の授業における挙手は記事冒頭でもお話しした「意思表示をするための挙手」であることがほとんどになります。

これは、受講者数によっても変わるのですが、受講者数が多くなれば多くなるほど「意思表示をするための挙手」が多くなり、受講者数が少なくなれば少なくなるほど「発言をするための挙手」が多くなります。

受講者数が多い授業では、大学の授業では教員がいくつかの選択肢を示し、

「Aだと思う人」

といった問いに対して挙手をするという形が大変よくみられます。

反対に、授業中に

「この主人公の気持ちがわかる人」

といった問いに対しては、ほとんどの人が手を挙げません。

そのため、教員側から指名するか、選択肢を与えて、意思を確認するといった形が多くなります。

問いかけの仕方

ここまでお読みいただいた方は気づかれているかもしれませんが、選択肢を準備すれば、意思を示す形式の挙手となり、具体的な回答を求める問いかけ方にすれば、発言するための挙手となります。

しかし、小学校では具体的な回答を求める問いかけが多く、大学では選択肢を準備している問いかけが多くなっています。

特に大学においては、ゼミなどの少人数授業でない限り、具体的な回答を求める問いかけというのはほとんどないと思います。

多くの授業で、教員が指名して意見を聞くか、選択肢を与えて挙手する形となっています。

では、なぜ小学校と大学では挙手の意味合いが異なってくるのでしょうか。

これは当たり前のことではありますが、発達段階が影響していると私は考えます。

小学校段階では正直なところ、純粋に「問いに対する回答をしたい」という気持ちから挙手につながることが多く、周りの目を気にする児童は割合的には多くないと思われます。

一方、大学段階では「問いに対する回答」をもっていたとしても、周りの目を気にする学生の割合が高いため、回答をすることよりも、「目立ちたくない」といった心理のほうが優位になってしまうと考えます。

もちろん、小学校段階でも挙手をすることが苦手な児童もいれば、大学段階でもガンガン挙手をして意見を言ってくれる学生もいます。

しかしながら、小学校段階で選択肢を準備した問いかけをしていれば、主体性を発揮する機会を減らしてしまう可能性があり、大学において具体的な回答を求める問いかけをしていれば、発言者が偏ってしまう、または授業自体が進まくなってしまう可能性があるのです。

これは、日本特有の授業風景なのかもしれません。

日本の文化と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、小学校で当たり前のようにやっていた挙手が、大学ではほとんど見られない状況となっています。

一番の理想は、大学でも発言を求める問いかけをして、学生から意見を引き出すという形なのですが、よほど学業に意欲的な学生が集まった場でないと難しいと感じます。

大学生ではなく、講演会などでも同じですが、大勢の大人を対象とした場では、指名する以外に具体的な回答を得ることは非常に難しいです。

上記のことを踏まえて、私にできることとすれば、選択肢のある問いかけをできるだけ授業に取り入れ、学生の考えを可能な限り細かく引き出す、ということかな、と思っています。

年をとればとるほど「考える」楽しさを感じることができていますので、学生にもその楽しさを感じてもらえるよう、授業準備に勤しみたいと思います。

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