紀要の意義

大学教員の仕事

今回は紀要についてお話ししたいと思います。

紀要とは

「紀要」という言葉は、大学関係者や研究を仕事としている方でなければ馴染みがない言葉だと思います。

「紀要」とは、大学などの研究機関が発刊している学術情報誌のことです。
(学術情報誌とは、様々な研究成果をまとめた雑誌のことです。)

基本的には大学であれば短大を含めたほとんどの大学で発刊されています。

小学校や中学校においても、公開研究会などを毎年行っている学校であれば、発刊している学校もあります。

そして、その機関に所属している人が関わっている研究であれば、基本的に誰でも、どのような内容でも投稿することができます。

論文の価値

関係者であれば誰でも投稿できる紀要ですが、誰でも投稿できるがゆえに、その価値が低くみられてしまうことがあります。

論文には「査読」というものがあり、この査読がついている論文は価値が高いと判断されることがほとんどです。
(査読とは、投稿した論文の内容について、その学術誌の編集委員またはその分野の権威者が精査し、その学術誌に掲載が可能かどうか判断すること。)

さらに、海外の論文を中心に「IF:インパクトファクター」というものが存在し、このインパクトファクターが高ければ高いほど、その論文を含めた学術情報誌の価値が高いとされています。
(インパクトファクターについて詳しく知りたい方はWikipedia様をご参照ください。)

インパクトファクター – Wikipediaja.wikipedia.org

そのため、多くの研究者は「査読」がついている学術誌に自分の論文を投稿し、研究成果を発表します。

しかしながら、この査読は投稿する学術情報誌にもよりますが、複数名で徹底的に研究内容を精査しますので、掲載不可になることはもちろんのこと、掲載可能になったとしても、修正の嵐となることが大半です。(少なくとも私はそうです。)

だからこそ、掲載された論文には価値があり、その論文を書いた研究者の実績も高まるといえます。

話を項目の冒頭に戻しますが、研究機関内で発刊される紀要には査読がついてないことが多く、その学術誌としての価値は査読誌に比べると低くなってしまいます。
(大きな研究機関あれば、紀要にも査読をつけていることがありますが、あくまで学内での査読ですので、学会などが発刊している査読誌にその価値は及ばないと考えています。)

紀要の意義

では、紀要を作成する意義、紀要に論文を投稿する意義とは何なのでしょうか。


以下、私の考えを述べたいと思います。

①失敗を載せることができる

基本的に誰でも、どのような内容でも投稿することができる紀要では、研究における「失敗」の結果を載せることができます。

価値ある査読誌になればなるほど、その研究は「成果」が重要となってきます。つまり、重要な「成果がでた」研究について投稿し、その結果を掲載するわけです。


そのため、失敗した研究というものは世に出回りにくいという傾向があります。

しかし、研究というものは本来、膨大な失敗の上に成果が出るものです。かの有名なトーマス・エジソンはこのような名言を残しています。

私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

                         トーマス・エジソン

このように、成果を発表することももちろん重要なのですが、失敗を含めた「成果が出なかった」という結果、も非常に重要な知見であると私は思うのです。

そこで、そのような研究を発表できる場が「紀要」だと思っています。

②研究テーマに縛られることなく発表できる

査読誌においては、研究テーマが決まっていたり、方向性が決めれられたうえで投稿を募集している雑誌もあります。

そのような査読誌においては、ある程度その査読誌用に研究の流れをもっていき、言葉は悪いのですが、その査読誌が好むような研究内容にする必要があります。

しかしながら、紀要にはそのような制限はもちろんありませんので、自分のしたい研究を行い、その結果を自由に投稿することができます。そのため、自分の本当にしたい研究の結果を掲載することができたり、専門分野を変えてまだ日が浅い場合などでも投稿しやすかったりといった利点があります。

研究テーマは研究者にとって長く付き合っていくかもしれない要ですので、様々な研究に取り組みながら(紀要に投稿しながら)、自分が取り組むべきテーマを見つけていくことができると考えています。

③実績をつくることができる

ここまでは、主に論文の価値について話をしてきましたが、研究者として評価されるためには、純粋に研究「量」も重要となってきます。つまり、論文を書いた数です。

これは大学教員の採用にも関わってくることですが、論文の質と量はどちらも必要となります。

そのため、研究者は実績を積むために論文を投稿していくのですが、投稿しやすく、かつ、論文という体裁が整っている場が紀要と言えます。

他の研究者と共同研究をしながら一緒に論文を作成していけば、実績もどんどん積むことができます。(私は似たような研究をやたら身内で共著にするやり方は嫌いです。)

今回は、紀要の意義について書いてみました。

もちろん、誰でも、どんな研究でも投稿することができるため、各研究の価値は、正直ピンキリです。
査読誌レベルだろう、というような論文もあれば、読書感想文のような論文も見かけます(偉そうなことを言えるような立場ではありませんが…)。

そのため、査読誌と比べるとどうしてもその価値にブレがでてしまうのは致し方ないかと考えています。

ただ、確実に言えることは「研究成果を発表しやすい場」であるということです。

分野にもよるかもしれませんが、紀要に投稿できるような研究成果を少なくとも1年に1本は出せるようにしながら、査読誌にもチャレンジしていける、というのが理想なのかもしれません。

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