ふとした時に連絡ができる上司(に私はなりたい)

雑記

今回は上司との関係性についてお話ししたいと思います。

人が苦手

いきなりですが、私は友達と呼べる人が少ないです。コロナ禍がさらに拍車をかけましたが、仕事関係以外の人とプライベートで会ったのは年に1回、2回程度だと思います。

悲しい人だと思われるかもしれませんが、私自身が人との関わりが苦手なため、特に悲観することもなく、充実した毎日を送っています。


(お酒も飲めないため飲み会も大の苦手であり、懇親会や食事会も好きではありません。飲みにケーションやタバコミュニケーションという言葉を聞くと吐き気がします。)

しかし、そのような私でも、人から嫌われたいわけではありません。基本的に人と距離をとりますので、嫌われても仕方がないという覚悟はもっていますが、やはり嫌われるよりかは好かれたいものです。

そのため、職場を中心にせめて距離感を保とうと、誘われた飲み会や懇親会に参加したり、お歳暮などの贈り物をしたり、年賀状を書いたりと、折に触れて関わりはもってきました。

特に、上司に関しては、媚びをうるというわけではないのですが、失礼のないように最低限のマナーをもって関わっていました。
(それでも、私は扱いづらい部下だと言われたことがあります。)

しかし、あるときを境にその「最低限の関わり」すらもやめることとなりました。

年賀状

私が結婚した際に、大学の恩師から結婚祝いをいただきました。


そのとき、「お返しはいらないから」ということを私に伝えながらお祝いを渡してくれたのですが、さすがにお返しをしないわけにはいきません。

内祝いを送ろうと、その恩師の住所を確認したのですが、最近引っ越したということを聞いていたため、改めて住所を聞くこととしました。


「お返しをしたいので」ということで連絡をすると絶対に教えてくれないため、「結婚したということもあり、年賀状を送らせていただきたいので」ということで住所を聞き出そうとしました。

そうすると、恩師からはこのように返ってきました。

「年賀状は、それをだすことでしか保てない関係性のひとにだけ、送ればいい」

結果的に住所を教えてもらえず、その時に内祝いを送ることができなかったのですが、この返信に私は衝撃を受けました。(後日、内祝いは直接渡しました。)

上記でもお話ししましたが、最低限のマナーというものは必要だと思っています。ただ、年賀状を出さないだけで壊れてしまう関係性であれば、どのみちどこかしらで壊れてしまうだろうと思ったのです。

壊れなかったとしても、今後、無理をしながら関係性を保っていく必要があります。

恩師からの返信をもらってから、年賀状を中心に、必要ないと思う贈り物や連絡の類を一切やめました。


もちろん、そうすると年賀状なども来なくなりますので、一層孤独感が増します。


しかし、関係性を保つためにやっていたことをしなくなったため、自分自身は非常に楽になりました。

実際のところ、年賀状を送らなくかったからといって関係性が悪化した職場関係者はいませんでしたし、連絡をしなくなったからといって、何か不都合が起きたわけでもありません。

想像してもらえたらと思いますが、年賀状が来ないくらいで自分が関係性を変えることはありません。送ってくれた人の近況は知ることができますが、ただそれだけです。来なかったら来なかったと思うだけで、もしかしたら気づかないかもしれません。


そのようなものです。

先述のメールを送ってくれた恩師とは、今でも連絡を取り合っており、お互い自分の取りたいときに連絡を取っています。


後輩や部下、同僚ならわかりますが、目上の人に気兼ねなく連絡できるという関係性は、私にとって非常に楽であり、ありがたい関係性です。

このような恩師に恵まれたおかげで、私もふとした時に連絡ができる上司になろうと思えるようになりました。

まあ、今回紹介した恩師のような方にこそ、年賀状を出したくなるという矛盾が発生してしまうのですが、自分が本当に大切にしたい人は誰なのか、ということを改めて考えるきっかけとなれば幸いです。

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