今回は大学教員としての実績についてお話ししたいと思います。
やはり論文
結論から申しますが、大学教員としての実績は、やはり「論文」だと思うのです。
現代ではテレビやネットが発達し、YouTubeなどを通じて情報を発信できる時代となりました。
そのため、大学教員もテレビだけでなくネットを通じた露出が比較的しやすくなり、その露出を業績とする方も増えてきました。
確かに、テレビなどに呼ばれ、自らの専門知識を社会に還元することは非常に重要な責務の一つだと思います。
誰もができる役割ではないため、専門家としてメディアに出演することは尊敬に値します。
ただ、それは「論文」としての実績を積み上げてから出演するべきだと思うのです。
大学教員には時々、メディア関係者のツテでテレビ出演や新聞への取材などが回ってくるときがあります。
それは光栄なことですので、ぜひ受けるべきでしょう。
ただ、それに胡坐をかき、メディア出演に舵をきってしまう方がいるのも事実であり、論文としての業績を重ねないまま、専門家としての地位を確立していく方がいます。
このように書くと、あなたがテレビに出られるだけの実力がないから、ただ嫉妬しているだけでしょう、と思われるかもしれません。
至極真っ当な指摘です。
私にはメディアに出られるだけの実力はありません。業績もありません。
そのため、弱者の遠吠えに聞こえるかと思います。
遠吠えとして読んでいただけたらと思いますが、私はやはり論文(研究)で評価されたい人間なのです。
はるか昔から「書き残す」という行為は、その後を生きる人たちに多大な影響を与えてきました。
テレビやネットが登場してからもその行為は消えることなく、むしろこれまで以上に活用されるようになっています。
良い例として、ブログやnoteが挙げられるでしょう。
そして、「書き残したもの」ははるか昔の書物であっても、現代の人々に読まれています。
テレビやネットが発達していても、映像よりもはるかに活用されているといってよいかと思います。
特に、研究に関しては、「巨人の肩の上に立つ」という言葉があるように、先人の思いや研究成果を紡いできた上に自分たちの生活や研究があるわけであり、今後も「大学教員としての研究成果」を後世に紡いでいくのだとしたら、やはり「論文」が最も重要だと思うのです。
論文にまとめている内容をいかにわかりやすく社会に還元するかという点では、メディアにおける露出も必要かと思っています。ただ、わかりやすく説明するということは、研究の本質を理解するために必要な知識、言葉などを言い換えて説明しているため、本来伝えたい内容の全てを伝えられない部分があります。
例えば、iPS細胞で有名な山中伸弥先生の研究はメディアでも取り上げられていることから、大まかな研究内容を知っている人は多いかと思います。ただ、山中ファクターがどういうものであり、そのファクターをどのように発見し、どのように活用すればiPS細胞が作られるのか、といった研究の本質に関わるところは知らない方のほうが多いのではないかと思います。
(私もすべてを理解できているわけではありません)
そのため、メディア用に変換された情報ではなく、研究として専門的な知見を残していくためには、やはり「論文」が最も重要だと思うのです。
相変わらず文がまとまらず、「論文書けるのか」と思われるかもしれませんが、下手な文章を紡ぎながら少しずつ研究成果を論文にしています。
今回伝えたかったのは、やはり、大学教員の本質は「論文」で評価すべきだということです。
大学教員には教育という側面もありますが、それは自分の研究を還元するための教育であって、やはり研究ありきだと思います。
教員の方であれば、何を本質とするか難しいところではありますが、やはり「授業」で評価されるべきでしょう。子ども達から好かれている、保護者対応が良いといった評判があったとしても、やはり「授業」がどれだけ上手く、子ども達に教える内容を理解させるか、という点で評価されるのが教員としての本質だと考えます。
成田悠輔先生のように、論文もしっかりと評価されたうえでメディアに出るのが最も真っ当だとは思いますが、メディア云々ではなく、まずは「論文」を評価してもらえるように頑張りたいと思います。
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