「継続は力なり」

雑記

今回は「継続」ということについてお話ししたいと思います。

私がタイトルにある言葉と出会ったのは小学校3年生の時でした。私が通っていたスイミングスクールでは、水泳を行う際の約束事を全員で読み上げる習慣があり、一番最後に「継続は力なり」と読み上げてから水泳を始めるというルーティンがありました。

当時は言わされている感覚でしたので、言葉の意味など考えたことがありませんでした。

しかし、年を重ねるにつれ、継続の重要性とその難しさを感じるようになっていきました。

誰でもできる。ただ、続けることは難しい。

継続の重要性については、世の中に溢れすぎているほど説かれてきています。年を重ねれば重ねるほど、その難しさと重要性に気づく機会が多いのではないでしょうか。

どこで発言していたのかは忘れてしまったのですが、棋士の羽生善治九段が「漢字一文字を毎日書くということでも、数十年続けることは難しい。」という旨の発言をされていました。

漢字を一文字書くことなど、大人にとっては造作もありません。ただ、それを長く続けられるかというと、おそらく大半の人が続けることができないでしょう。

このブログもそうだと思います。


長さに関わらず記事を書くことはできるかと思いますが、それを長く続けられるかというと、対象者は激減するかと思います。

誰でもできることだとしても、それを継続して行うということはなぜかできない。


人間という生き物の面白さを感じることのできる一面だと個人的には感じます。

一万時間の法則

それぞれの世界で熟達者になるための方法として、よく「1万時間の法則」が取り上げられます。
1万時間の法則とは、ある物事を極めるためには1万時間その物事に向き合う必要がある、という説のことです。

1万時間とは、1日に約3時間ある物事に時間を費やしたとすると、約10年の月日を要します。

これはアンダース・エリクソンという心理学者の研究によって導き出された数字であり、一定の調査によって導き出されています。


もちろん、1万時間を費やしたらみんながその世界のプロになれるかというとそうではありません。ただ、物事の上達には膨大な練習時間が必要であり、一定のレベルまでは物事に取り組んだ時間がそのまま実力差として現れるということもわかっています。

教員という職業について

昨今、教員という職業はブラック職の代表格として挙げられています。確かに、環境改善が必要であることは間違いないでしょう。

ただ、最近は教員になって1年もたたずに辞めてしまう教員も大勢います。


病気など、続けることのできない理由があれば話は別なのですが、自分には向いていない、何となく合っていない、といった理由で辞めてしまう例も少なくないと聞きます。

1万時間の法則に則れとはいいません。
体を壊してまで続けろとも言いません。

ただ、せめて1年。年度の全てを経験するまでは続けてみて、それから判断するほうが良いのではないかと個人的には思うのです。

1年もたたずに辞めてしまったら、教員という職業の悪い部分には触れたとしても、良い部分には触れることはできないかもしれません。


というのも、教育においては「やりがい」が教員を続けるうえで大きな要素になると感じるからです。

「やりがい搾取」という言葉もあり、「やりがい」という言葉をつかうと叩かれてしまいそうですが、「やりがい」が教員生活を支えているという方々は多いと思うのです。


そして、その「やりがい」を感じるには、最低でも1年を経過しないとほとんど感じることができないと思うのです。

本当は「石の上にも3年」という故事があるように、3年は続けたほうが良いのでしょうが、最低でも1年は続けたほうが良いというのが私の意見です。

今年度教員になられた方々は、どのような理由であれ、何万とある職種の中から教員という職業を選んだわけです。


せっかくその職業に就いたからには、まずは1年続けてみてほしいと思います。

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