若い時の苦労は買ってでもせよ

雑記

今回は日々身に染みているタイトルの言葉について考えてみたいと思います。

過酷だった小学校教員時代

タイトルにある言葉は、年齢を重ねていく中でひしひしと感じている言葉です。

解説も必要のないくらい有名な言葉だと思いますが、解釈の統一を図る意味で解説をすると

「若いころの苦労はその後の人生にとって貴重な経験となるため、自分から求めてでも、大変な選択をしなさい」

という意味です。

過去の記事をご覧になった方はお分かりかと思いますが、私は小学校教員から社会人をスタートさせました。

https://note.com/embed/notes/n02d9f024a8df

そして、着任した学校は激務の象徴のような学校でしたので、残業が150時間を超えるのは当たり前の毎日でした(教員に残業という概念はありませんが・・・)。

正直に申し上げますと、大変でした。

毎朝起きてトイレに入り、そこで自分を無理矢理奮い立たせるための音楽をかけ、気持ちが落ち着いたらトイレから出る、といった儀式を行ってようやく準備に取り掛かれるといった精神状態でした。

まあ、体が動く分、身体症状が出るほどの精神状態をご経験された方々に比べたらマシなのかもしれませんが、私の人生の中では最も過酷な日々でした。

しかし、その過酷な経験があったからこそ、今の仕事に余裕をもって取り組めているという自負があります。

時代錯誤かもしれませんが、私は上記の小学校教員時代の過酷な日々が、自分の社会人としての基盤を作ってくれたと思っています。

若いころの苦労が大切な理由①:体力

では、具体的になぜ若いころの苦労を積極的に経験したほうがよいのかということについて考えてみたいと思います。

まず、単純に体力的な面が考えられます。

人間である以上、加齢による衰えは避けることができず、集中力の維持や健康の維持といったことが、年を重ねるにつれてできなくなっていきます。

例えば、20代であれば人にもよるかもしれませんが、徹夜することも可能であったでしょう。

私は、30代になってから徹夜をすることができなくなりました。

純粋に睡魔に打ち勝てなくなったということもありますが、起きていても頭が働いていないのが顕著に自覚でき、ひどいときにはふらついて意識を失いそうになったこともあります。

大学までは体育会の運動部に所属しており、社会人になってからも比較的体を動かしていたほうだと思っていましたが、加齢による衰えを感じざるを得ない今日この頃です。

このように、年齢を重ねるにつれ、無理ができなくなっていきます。

そのため、仕事に向き合う時間が確保できなくなっていくということです。

単純に考えて、仕事に向き合う時間が長ければ長いほど、その分経験も蓄積できます。

ただ、年齢を重ねてからだと、その無理に体がついていかないのです。

良くも悪くもですが、無理ができる若いころというのは、多くの経験を積むことができる時期といえます。

若いころの苦労が大切な理由②:無知が故の吸収

若いころの苦労が大切な理由の二つ目は、「知らないがゆえに、物事を柔軟に吸収することができる」ということです。

どういうことかというと、私は小学校教員が社会人としてのスタートでしたので、小学校での働き方しか知らなかったわけです。

それは、良くも悪くも「社会人とはこのようなものだ」と、がむしゃらに働きながらも、現状を受け入れることができたのです。

これが年齢を重ねてからならどうでしょう。

「この働き方は明らかに間違っている」
「自分が知っている社会人としての働き方とは違う」

といったように、知識があるがゆえに、がむしゃらに働くことに対して拒否反応が出る可能性が高まります。

もちろん、柔軟に受け入れることができる人もいるかと思いますが、これまでの経験が現状を受け入れる枷になってしまう可能性があるのも事実です。

私も、他の人たちはこんなに苦しい思いをしながら日々生活をしているのか、と疑問に思ったこともありますが、自分で社会人というものを判断するだけの経験を持ち合わせていなかったため、日々の業務をがむしゃらにこなすしかなかったのです。

聞こえ方は悪いかもしれませんが、私としては、がむしゃらに頑張ることができたからこそ、貴重な経験を積み上げることができ、現在、余裕をもって仕事に取り組めているのだと感じています。

頭を抱えて悩む男性

上記の二つが、私が考える「若いころに苦労したほうがよい」と考える大きな理由です。

上記でも書きましたが、私の考え方は時代錯誤ととらえられるかもしれません。

根性論がまかり通っていた昔とは比べ、現在は人権に対する考え方も、働き方に対する考え方も大きく変わっています。

もちろん、心身を壊すまでの苦労をしろと言っているわけではありません。

しかし、苦労をしないまま年齢を重ねた人と、苦労をしながら年齢を重ねた人とでは、困難にぶつかったとき、それを乗り越えるための引き出しが、後者のほうが多いと感じるのです。

そして、人生とは困難の連続だと考えていますので、その困難を乗り越え続けてこそ、成功や幸せといったものが待っていると思うのです。

完全なる精神論となってしまいましたが、現代においても、根性で乗り切ろうとする熱い若者が私は大好きです。

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