今回は情報を正しく読み取るということについてお話ししたいと思います。
大学の講義みたいになってしまいますが、大学生に限らず、生活上必要なことかと思いますので、ご容赦ください。
あるニュースの一部分
まずはともかく、8年前の記事になってはしまうのですが、以下の画像をご覧ください。
キャプションから推測できるかもしれませんが、この画像、何がおかしいかおわかりでしょうか。
ちょっとわからないという方は、以下の画像もご覧ください。
上記は同じサイトから引用させていただきましたが、なにがおかしいかお分かりになりましたか?
焦らす必要もないため、正解を書いてしまいますが、グラフの数と色分けの範囲がめちゃくちゃになっていますね。
上記のグラフを正しく表したものが以下となります。
まず、おみくじのフリップについては、吉の入っている数が今日よりも多いにもかかわらず、凶の示されている部分の幅を大きくとることで、視覚的に凶の含まれている数が多いかのように見せています。
次に、懲戒処分者数についてのフリップについてですが、50代の懲戒者が明らかに多いはずなのに、なぜか「若者」というくくりで10代と20代が括られて、「懲戒者は若者に多い」という印象をあたえるものとなっています。
情報リテラシーからは逃れられない
上記の話をお読みいただけたらお分かりかと思いますが、何でもない日常のニュースですら、このような情報操作が行われています。
そして、情報機器が発達した今、「情報リテラシー」という能力を高めていかなければ、生活にも支障が出かねない時代となっています。
極端な話をすると、ツイッターなどのやり取りを通じて自殺や自殺に追い込む事案も増えていることから、命に関わる能力と言えるのではないかなと思います。
情報リテラシーとは、情報を十分に使いこなす力、とされていますが、使いこなす以前に「正しく読み取る」ことができなければ、使いこなすことは到底無理だと感じています。
情報機器を使わなければよい、と思う方もいるかもしれませんが、正直なところ、現代においてそれはほとんど不可能だと私は思っています。
なぜなら、なにかしらの媒体から「情報を得ている」時点で情報リテラシーは必要となり、スマートフォンやパソコンの操作に日常的に触れている若者はもちろんのこと、新聞やテレビ、ラジオなどから情報を得ている高齢者の方々にとっても、他人事ではないのです。
いつの時代も「情報」は重要な意味合いを持ってきましたが、情報機器が発達した現代においては、その重要性はますます高まっているかと思います。
前置きが長くなり申し訳ありませんが、冒頭の画像の例から何を言いたいのかというと、「情報を疑う習慣」をつけてほしいということです。
以前の記事でもお話しした内容ではあるのですが、特に大学生においては、卒業研究などの「研究」に触れる授業はもちろん、それぞれの授業においても、「疑問」を持つことが大事だとお話ししてきました。
それは、決して授業だからということではなく、日常生活においても必要となる能力となっていきます。
そのため、「疑う」ということは、ただレポートを書くために必要な能力というわけではなく、現代においては、生活をしていくうえで必要な能力と言えるのです。
「疑う」癖をつける
大学においては授業等を通じて「疑う」ということが重要となってきますが、大学生に限らず、「情報を疑って、正しく理解する」ということがますます重要になってきます。
そのため、日常的にニュースなどから情報を得ている場合は、そのニュースをそのまま鵜呑みにしてしまうのではなく、いろいろな視点から情報を精査して、そのうえで自分の中に落とし込む必要があります。
その点でいえば、ヤフーニュースなどのデジタル媒体から情報を得ている方は、そのニュースに関するコメントなどを見ることができますので、いろいろな方の様々な意見を見ながら、自分の中で情報を精査するということができます。
ただ、そのコメントに流されてしまわないように、あくまでも自分の考えをもって情報を処理することが必要です。
正しい情報を伝えるという責任がマスコミにはありますので、情報操作をしている時点でその責任を負っていないという指摘はもっともな意見です。
ただ、防犯対策ではありませんが、自分の身を守るという意味からしても、正しく情報を理解するという能力は重要な能力となっていくかと思いますので、自戒の意味も含め、現在の情報取得の仕方について見直してみてはいかがでしょうか。
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